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大切にしていること

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エバンズが考える“塾の役割”=

【考える力を育む】

塾で学んだ記憶はその子の将来を支えるとEvansは考えています。
学校と同じように、塾で勉強するということは、その子の生活の一部になります。塾での学び方、塾での扱われ方、塾での自分の在り方、それらはすべてその子の精神の成長に寄与します。
「塾は受験の手段」という授業を受けていると、子どもたちは「点数さえ取れれば世の中はそれでいいんだ」と思う子に育ちます。
「塾は成績を上げるために通うところ」という授業を受けている子どもたちは、「それをしたら何になるのか、それをしたらこうなるならやる、ならないならやらない」という打算的で安易な行動を取り、困難を乗り越える経験もせず自分を肯定できない人に育っていきます。

 

エバンズ塾では、大人になったときに自分を肯定し、自分の力を信じ他者を認めて幸福感を持てる、生き生きとした前向きな精神的に健やかな人に育つよう授業を進めています。


大倉山にEvans塾ができて3年。少人数グループ&個別指導の学習塾として、これからも子どもたちの成長に寄与していきます。

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子どもはこう変わる!

グループ授業でもひとりひとりに合った整理の仕方を講師が読み取り、解決方法を教えます
自分で考える時間を大切にし、考えて行動する習慣がつきます
自分で解決することを促すと、自分で自分を信じる力が備わります
自分で深くじっくり考えることを続けると想像力が豊かになります
想像力が豊かになると自分の中の世界が広がり、色々なことに気づき、自発的な行動を取ることができるようになります
自発的な行動が取れると、あらゆることを高いレベルでこなせるようになります
自力で努力し続けてきた子は、自分の体験があるので誰に対しても謙虚になります
思考力と想像力を育てることは自分の世界を広げる、それが明るく健康な精神を養います
今ある問題にきちんと向き合いじっくり考えることで忍耐力と耐久力がつき、精神を鍛えます
忍耐力と耐久力をつけて鍛錬することを覚えると、前向きな行動力のある人になります
自己表現力を磨き、自分の意見を人に丁寧にわかりやすく伝えることも自然とできるようになります
様々な視点からの学習をすることで、学問に興味を持ち自分の意見を持って表現できる力を養います
学習を通じて広い世界を知り、主体性を育み、世界に貢献できる土台を作っていきます

指導例
~高校2年生 読書感想文~

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感想

全体を通して「矛盾」が大きなテーマになっているのではないかと思います。言われること次第で割と簡単に気分が変わってしまう「私」、人を信じたいけれど疑ってしまう「先生」、そのほかの登場人物の台詞にも、「矛盾」を意識することが多くありました。物語の中の矛盾に気付きながらも、それを完全に否定できない感じがもどかしかったです。

この一冊そのものに、ゆっくりした時間の流れとたわいない日常の自然なあたたかさ、そしてそれらの中にあるやさしい淋しさを感じました。ぴったりの言葉が見つからないので変な日本語になってしまいますが、いま私ができる表現でいうと、物語自体が「ずっと夕暮れ」という印象です。自分で言っておきながらよくわからないのですが、これが一番しっくりきています(矛盾!!)

「淋しい」という言葉を使っていないのに、文章からちゃんと淋しさが伝わってくることが、本当にすごいと思いました。読んでいる間に私が感じていたものが「感じさせられている淋しさ」ではなく、「純粋な淋しさ」だったことにも驚きました。

<​指導前>

<2時間​指導後>

感想と研究

私は最初のうち、「先生」はいつでも落ち着いていて感情の起伏があまりないので、まるで植物のような人だと思っていた。

しかし、読み終わってから考えると、一時の言葉が少なくても、長い間人に言えないような秘密を抱えながら最後まで妻のことを想って逝った「先生」こそ、一番人間らしかったのではないかと思う。手紙の中にあった「記憶して下さい」という言葉から、「先生」が「私」に求めているのが理解や慰めではなく、ただ記憶に残ることだったのが伝わってきて、切なかった。

「私には私の宿命があり、妻には妻の廻り合せがある」という一文には、「先生」が思うことのすべてが詰まっていると思った。「宿命」と「廻り合せ」という二つの言葉は、辞書で調べても言葉の意味そのものにたいした違いはない。しかし、私は読んでいく中で、「宿命」には「いつかは必ず対峙しなければならない」という強い義務感を覚えるのに対し、「廻り合せ」には義務感ではなく、太陽が昇ってはまた沈むように、「当たり前にちかい、気付かずとも自然とやってくれる」やさしさを覚えた。もちろん最終的には読者の感じ方次第だが、夏目漱石は文章を書くとき、これをわかったうえであえて「先生」と「妻」に別々の言葉を選んだのだと思う。

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